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猫注意。 [藤里町]

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 あっぶねーだろぉぉ。もっとスピード落として運転しろぉ!
  か、
 気が立ってんだから近寄んじゃねぇ!
 って言ってそうな標識だと思います。どちらかといったら後者じゃないかな(笑


 次回は、水神様の大欅(大沢のケヤキ)をお伝えします。

 ※8/29の記事に追記をしてみました。興味のある方はご覧ください。かなり妄想入っていますので見なくても結構です(笑
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山神社 [藤里町]

 前回の記事を読んだ後に読むことをお勧めします。


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 米田地区を抜けて素波里方面へ向かう途中に見つけた大きな石碑。しめ縄があるってことは神社なのかなと、目をよーくこらしてみると

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 ズバリ「山神社」と彫られているのです!近くには鳥居も無ければ社も見当たらず。前回の考察記事から大山祇神を祀る神社が多いことがわかりました。白神山地をご神体として祀っているのでしょう。詳しい情報をお持ちの方、教えていただければ幸いです。
タグ:神社
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【追記あり】浅間神社を妄想気味に考察する [藤里町]

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 秋田の神社検索によると、明治43年藤琴村内の8神社を合併して、現在の祭神を祀っているそうです。

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 境内はさっぱりしていました。駒踊り当日朝はここから町内を練り歩くそうです。

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 めおと杉に似た、くっついた杉がありました。

 さて、なぜ浅間神社という名なのでしょう。Wikiの浅間神社富士信仰を参考に勝手に考察してみます。
 浅間
「浅間」は荒ぶる神であり、火の神である。江戸時代に火山である富士山と浅間山は一体の神であるとして祀ったとする説。 「アサマ」とは、アイヌ語で「火を吹く燃える岩」または「沢の奥」という意味がある。また、東南アジアの言葉で火山や温泉に関係する言葉である。

 藤里駒ヶ岳は火山です。そして藤里町には温泉郷があります。
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 なんという偶然!昔の人たちは東南アジアの言葉の意味を知っていたのでしょうか・・・。

 
噴火を抑えるために、火の神または水徳の神であるとされた木花咲耶姫を神体として勧請された浅間神社も多い。

 藤里町の浅間神社にも木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)が祀られていますし、他にも火産霊神(ほむすびのかみ)、加具土神(かぐつちのかみ)(同一神ともされますが)といった火の神が祀られています。山の神として有名な大山祇神(おおやまつみのかみ:木花咲耶姫の父で、浅間神社では一緒に祀られることが多いそうです)も祀られています。大山祇神は鉱山の神でもあります。
 藤里町のあゆみを読むと太良峡付近には鉱山があったことがわかります。また、頻繁に洪水による被害が発生していたようで、大山祇神は鉱山の隆盛・山の鎮護と藤里町には欠かせない神様なのかもしれません。

 藤里駒ヶ岳は噴火したという記録はないようですが、山への畏怖から浅間神社となったのでしょうか。
 
 さらに、富士山=浅間神=大日如来とも称されます。そして不動明王は大日如来の化身とされています。

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 銚子の滝の岩場
 峨瓏の滝のそばにも不動神社があったと思います。藤里町にある滝のそばには不動明王を祀っているようですし、素波里神社そばの滝の名はなんと不動滝!!

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 もはや偶然と呼べるのでしょうか・・・。これも「浅間」と関係あるのかもしれません。

 他にも、藤里町の浅間神社には豊受姫神(とようけひめのかみ)を祀っていますが、これは稲荷神と習合し同一視され、猿田彦神(さるたひこのかみ)は道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視されたそうです。また、武甕槌神(たけみかつちのかみ)は雷神ですが、相撲の元祖ともされる神様です。
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 宝昌寺内の稲荷神社。粕毛神明社の境内にも稲荷神社がありましたね。

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 根城岱でみつけた道祖神と思われる石碑

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 根城地区に代表される相撲行事(根城地区は素波里神社が近いですが、、、)。藤里小学校にも土俵がありました。
 なぜ、この神様が祀られているのか、神社に祀られている祭神と地域の風習をよく考えると、関係性が見えてくるのではないでしょうか。
 それでも「浅間」の理由が説明できません。大山祇神を祀るがために浅間神社なのか。仏様である不動明王を祀るがために浅間神社なのか。前者の場合は大山祇神社や三島神社として全国にありますし、後者の場合はそもそも仏様なのですから、無理に神社に祀らなくてもと思います。この辺りは宮司さんに聞くのがいいのかな。あるもの探し隊の皆さんが調べていることを期待して、11月の発表会を待とうと思います。


 次に、なぜ白神山地というのでしょう。オシラサマ信仰や、アイヌ語のシラー・カムイが由来ではないかとも言われますが、白神という氏名は天神・菅原道真公を祖とする菅家の正流だそうです。
 はい、浅間神社には菅原神(すがわらのかみ)も祀られています。村社八坂神社の境内にもありましたね。

 
 そうか、、白神山地は菅原氏と関係浅からぬ場所なのでは、、、白神山地=菅原山地、、菅原さんち、、、菅原さん家。

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 MMRもびっくりだ!


【追記】
 藤里町と白神山地について。さらに『かなり滅茶苦茶な妄想』をしてみました。MMR的なフィクションですのでお間違いのなく(笑
 藤原氏の家紋はもちろん藤(下がり藤)なのですが藤里町の町花もフジです。考えようによっては、藤里・・・藤原氏の郷と妄想できなくもないです。で、白神山地の白神が菅氏の正流とすれば、こんな様子が想像できます。

 藤原が菅原を祀る・敬う姿が!

 菅原道真の生涯は845年~903年。藤琴には約1200年前延暦の頃から住民がいたそうです(藤里町地域水道ビジョンより)。道真公が生まれる前の時代ですが、若干の前後も誤差の内と言えるでしょう(勝手にいい方向へ解釈!)。とすれば、道真公を敬う民によって、藤原氏の繁栄に抗うがために藤と白神を暗に使用したのではないか、、、、。

 これは権力闘争の末、藤原氏によって左遷されたことへの道真の逆襲とみるべきなのかどうか・・・。
 
 ヤバいなぁ。妄想族です(笑
タグ:神社
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水無沼と横倉の湧水、棚田 [藤里町]

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 横倉集落から2.5km奥に進んだところに水無沼と菅江真澄の歌碑があります。こんなにも水を蓄えているのに水無とはいったいなぜ・・・。そして、車のない時代にこのような場所まで探訪する彼のすごさに脱帽します。

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 このあたりはトンボも多く飛んでいました。オニヤンマを撮影しようにもホバリングしてくれず、置きピンで狙ってもピンボケという、、それ置きピンって言いません><という技術の低さ[あせあせ(飛び散る汗)]

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 向かう林道の舗装は主要道路から1.5kmほどまでで、以降は砂利道&豪雨による浸食により、かなり難儀します。

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 わさび栽培でしょうか。ハウスの中は水を引いて涼しそうでした。

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 あきた白神・たびネットには、
白神山地の深山の中に湧き出し、知る人ぞ知る存在の清水。下流ではわさび栽培や養魚などに利用されています。
 
 と記載あるとおり、途中の斜面から湧水がありました。また、足元にも水源があり、破壊されないように目印がされています。
 地図を見るとこの辺り、冷水という地名もあるようです。それだけ冷たいってことなんでしょうね^^

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 帰り際、厳重に囲われた立ち入り禁止区域の中に石碑を見つけました。これはもしや、、、


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 ピンポーン! 庚申塔を発見しました。どちらも地面から見えるのは庚の部分くらいまでです。ここでも時代特定できるものは発見できませんでした。きっとどこかに年代特定できるものがあるはず。現存最古の1471年モノを塗り替えるべく、まだまだ頑張ります。

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 横倉地区の棚田から眺める風景は秋の稲刈り・紅葉時に素晴らしいのではないかと思いますので、改めて訪問してみたいと思います。

 勝手にあるもの探し、訪問したことで新たなハテナを得ることもできます。
 大沢地区に淡路さんが多いならば、他の地区はどんな姓が多いのだろう。
 大沢地区にはチョット変わった道路標識があるんだけれど、これは他所にもあるんだろうかとか(笑

  藤里町探訪は続きます。
タグ:庚申塔 棚田
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熊野神社 [藤里町]

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 大沢地区というのは藤里町でも最も古くから住民がいたようで、藤里町地域水道ビジョンによると1200年前だとか! このビジョン、あるもの探しの水源地調査にも最良の資料だと思います。

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 大沢地区は、淡路さんが多いようです。

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 熊野神社でも庚申塔を発見しました。

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 梵字2つと庚申でしょうか。残念ながらここでも年代特定できません。

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 実物を見ると、ため息が漏れるくらい素晴らしい龍の彫刻です。

 熊野神社と書かれた板。佐竹義栄氏によるものだそうですが、義栄氏は第35代佐竹宗家当主。現秋田県知事の佐竹敬久氏は、家臣であった佐竹四家(東西南北家)佐竹北家第21代当主です。※家臣といっても分家です。佐竹北家は宗家14代義治の二男、義信に遡ります。
 Wikiによると佐竹氏は常陸源氏の嫡流で、武田氏に代表される甲斐源氏と同族で、通字は「義」。源氏から中近世大名、族として明確な系譜として現代まで残った中ではもっとも大きな流れの一つである。相馬氏や蘆名氏も佐竹氏からの一族になります。

 もうひとつの庚申塔は、横倉地区にありました。また次回。
タグ:神社 庚申塔
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粕毛神明社 [藤里町]

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 忠魂碑とありました。
 裏側には大正四年九月六日 粕毛村立郷軍大会といった内容からも日露戦争でしょうか。

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 「秋田の神社検索」によると、ご祭神は12神。天照、素戔嗚、月夜見、イザナミ、一寸法師こと少彦名神等々。
 なお、境内にはほかに、稲荷神社等もありました。

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 そういえば、藤里町内で稲荷神社をよくみかけます。お寺の境内にもありました。いやいや、神社の境内にお寺があるのかも。鳥居もあったような。でもお寺だったような・・・。改めて確認が必要ですね、これ。

 残念なことに、秋田ファンドッとコムの内容に誤りがあるようで。観音堂は室町時代の建立で国の重要文化財~というのは「潟上市にある神明社」の内容と混同です。室町時代の建立は間違いないようですが、重文は潟上市の神明社です。早速メールでご報告しました。※8/27に訂正完了のメールいただきました。
 藤里町の神明社は、
 天正4年2月焼失に付、縁記創立年月日不詳、天正4年5月再建。寛文15年焼失、延宝2年に改築、明治6年村社に列す。(以上、秋田の神社検索より。)
 ということのようです。天正4年は、織田信長が安土城の築城を開始し、完成した年でもあります。が、またしても誤りと思われるものが・・・。寛文は12年で終わり、15年というと延宝3年にあたります。延宝3年に焼失し延宝2年に改築はあり得ないことになってしまいますね。当時の混乱ぶりが感じられます。

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 話題は変わって、庚申塔。先日頂いた情報を元に現地訪問したところ、ありました!

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 申の字の右側に何か彫られているような気もしますが。

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 左には、?九月。時代特定には至りませんでした[バッド(下向き矢印)]

 藤里町の庚申塔は現在3か所確認できました。引き続き探索のうえご紹介したいと思います。

 次回は大沢地区の熊野神社です。
タグ:神社 庚申塔
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水神宮 [藤里町]

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 素波里方面へ、室岱経由で向かうと町内に見える神社

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 狛犬の顔が判別しづらいほど古くからある神社なのでしょうか。

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 水神の象徴として龍が彫られていました。

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 時代を特定できるような刻印は見つからず。このような石を祀っているところが他にも、素波里神社へ向かう途中の田んぼ沿いにもありました。
タグ:神社
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村社八坂神社と男鹿市の意外な関係 [藤里町]

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 藤里町矢坂地区にある八坂神社。「矢坂」も元々は「八坂」だったのでしょうか。で、八坂神社というとスサノオですね。
 秋田の神社検索を読むと、京都より来た猿回し芸人の悲劇が語られています。ゆえに、申子神社とも呼ばれていた時期もあるそうです。

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 境内には太平山信仰の名残と思われるものもありました。

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 鳥居横の神社名の石碑を見ると、奉納者が男鹿市大倉の菊池さん。粕毛村矢坂出身だそうです。

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 さらに裏側を見ると、石工は同じく大倉の佐藤さん。
 男鹿市脇本は寒風山の麓に位置し、良質の石材が採掘できるためか石材店が多いです。墓石のCMを見るとよく「男鹿市○○石材」と耳にします。

 意外な所で藤里町と男鹿市は縁があったようです。


  藤里町町制施行50周年記念事業として、ないものねだりではなく、「あるもの探し」をしています。
 私は直接参加・協力しているわけではありませんが、庚申塚を調べてみるつもりでしたが、街路の交差点等によく目にするはずなのに見つからないという壁にぶち当たりました。以前、男鹿市内で調べたところ神社付近にも見かけるようでしたので藤里町でも神社めぐりをしていますが、これがまた全然見つかりません[バッド(下向き矢印)]
 「あるもの探しスタッフ」さんからの貴重な情報をもとに、先日訪問したところ発見することができましたので、その様子も含めて、もうちょっと藤里町の神社をご紹介したいと思います。
 
タグ:神社
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廃パチンコ店 [藤里町]

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 藤里には以前、パチンコ店もあったようです。メインストリート沿いの小路にひっそりと。

 藤里には「いとく」もあるんだぜ!
 へっへ~。お前んトコにはないだろ~。的なおしゃべりをしたことがありましたが、、、お互いコンビニはなくて、どんなに近くても車で15分くらいかかるところはどっちもどっちなんだよなぁ(笑 

 いとく・・・主に県北に複数展開する大型スーパー。
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藤里四十石 [藤里町]

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 役場も立地する藤琴地区のメインストリートを進むと見つけた菓子店さん。
 なぜ四十石なのだろう。やっぱり石高と関係あるのでしょうか。
 どこかに「百万石」っていうお菓子もあったような・・・。
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